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裏設定等の抜粋

◇オマージュ1 『月光症候群』
 幾人かお気づきの方もいらっしゃるようだが、ゲーム「ゲシュタルト崩壊」は、先行する二つのゲーム作品に大きなリスペクトを掲げて製作された。その一つが1997年にプレイステーションで発売された『月光症候群 Moonlight Syndrome』であり、もう一つが後述する『ひぐらしのなく頃に』(こちらはWindows専用のPC同人ゲーム)である。
 月光症候群と、本作「ゲシュタルト崩壊」の共通点は以下である。

・主人公の名前が同じ
・登場人物の台詞を一部引用
・登場人物の名前を一部引用

 月光症候群はニッチな電波ゲームとして一部では有名であり、Lu/LaLaLa/Luのメンバーも大いにはまったゲームである。また、共通の友人にも熱心なファンがいたことから、一種のサプライズ(もしくはお遊び)として、作中にソレと分かる風に引用を施した。

 また、「ゲシュタルト崩壊」の作中に登場する少年たちの名前に、「スダ」と「コーイチ」がいるが、月光症候群を製作したプロデューサー名が「須田剛一」であり(スダ・ゴウイチと読む。コウイチではない)、最大級の尊敬の念をこめて、そこから頂いた。
 特に、少年たちのリーダー格であった「スミオ」は、月光症候群では「冬葉スミオ」という名前で登場している。禍々しいまでの強力な魅力を持つ「冬葉スミオ」だが、Lu/LaLaLa/Luはこの人物を愛するあまり、思わず月光症候群中の台詞を幾つも引用してしまった。猛省することしきりである。



◇オマージュ2 『ひぐらしのなく頃に』
 私がこの作品を知ったのは2004年6月頃と記憶している。その時期はまだ火がつく直前で(火がついたのは同年8月のコミケ後)、ネットで体験版が公開され、極一部の物見高い人々の間で既にかなりの話題になっていた。体験版をプレイした私も一瞬で虜になり、8月の夏コミで購入し、大変大きな感銘を受けた。その後の「ひぐらし」の躍進は皆さんのご存知の通りである。
 この、「月姫」以来の、同人ゲームにおける偉大な最大のヒット作を畏敬して、ゲシュタルト崩壊では、「ひぐらし」を構成する膨大なファクターから、特に特徴的であった2つの要素を意図的に流用させていただいた。

・女性に追われるというシチュエーション
・Tips(ゲシュタルトではメモ)システム

 ひぐらしの体験版におけるハイライトである、「哄笑する少女に訳も分からず追われる」というシチュエーションを、ゲシュタルト崩壊では取り入れている。「ゲシュタルト崩壊」のシナリオ担当であった後藤あきらが、ひぐらしの体験版をプレイした時に一番強烈な印象を受けたのが、該当シーンだったためだ。また、このシチュエーションを取り入れることで、もう一つ大きな狙いがあったのだが、それは後述する。

 もう一つのTipsシステムだが、このシステムは、シナリオを読ませることを主眼に置いたゲームでは画期的な発明だと感じた。古くは「バイオハザード」等でも簡易的なメモ機能は搭載されていたが、「ひぐらし」におけるTipsはあくまで物語を(ひいては作品を)構築していくための重要な小道具として最大限活用されていたのが印象的だった。

(先行する「バイオハザード」や「かまいたちの夜」といった作品では、あくまで謎解きのための小さな情報でしかなく、その物語の世界観を強化するまでには到達していなかったように思う(有名な『かゆ、うま』を除く)。近年ではホラーゲームの零シリーズなどが、ひぐらしのように効果的にメモを利用していると感じる)

 ある時はプレイヤーを煙に巻き、誤読をさせ、ある時は、一人称で語られる物語を別の角度から「違和感なく」読ませ(これはまっとうにやると存外に面倒である)、またある時は大変大きな意味を物語りに付加する。特に、プレイヤーを「騙す」という点において利便性が高く、これを利用しない手はないと考えた。

 「ゲシュタルト崩壊」を発表してみると、予想通り「ひぐらしに似ている」との声が多く聞かれたが、事前に予想していた事からも明らかな通り、それはこちらの用意した一種の「罠」だった。ひぐらしに似ていると、プレイヤーが感じた瞬間に、「ひぐらしのような」という方向に思考がロックされ、実は全くベクトルが違う方向を向いている「ゲシュタルト崩壊」という作品に騙されてしまう方が多く見受けられた。プレイヤーの思考を乱し、騙す事を主眼に置いて製作された「ゲシュタルト崩壊」が、「ひぐらし」という巨大な影の下に潜ることによって、機能した結果だと言えるだろう。
 しかしながら一部、「ひぐらし」に似ているという事が大きなヒントと成り得ている部分もあった。「ゲシュタルト崩壊」の発表当時は既に「ひぐらし」の解答編も出尽くした後だったからできた事だが、「ひぐらし」同様、「主人公の主眼をトリックとする」という、よく知られた方法論をゲシュタルトでも使用している、というメタファになっていた。問題はトリックの方向性が全く異なっていたことだが、この問題は、ここまで気づけたプレイヤーの殆どがクリアできていたようだった。



◇浅田リョウの年齢(或いは学年)
 メモ「後日、署内某所にて。」により明らかな通り、浅田リョウは現在17歳の高校3年生である。また、「Scene5 夕暮れ」では、大学受験への不満や漠然とした不安が読み取れる。「ゲシュタルト崩壊」の読解には直接関係しないが、この辺りには個人的な思い入れが強く、幾つかの要因を暗示として物語中に登場させている。

 例として、浅田リョウは狂った人々に追い詰められ、屋上から落ちるシーンが2回あるが、これは受験へのストレス(周囲のプレッシャーを含む)と、最悪な結果(落ちる)を暗示している。陳腐だが、分かりやすさを優先した結果、こういう表現となった。2008年3月末日まで存在したLu/LaLaLa/Luのホームページに設置されていたゲシュタルト掲示板では、早い段階でその暗示が指摘されている(当ホームページからは「掲示板 過去ログ」の記事番号33、cubeさんのレスで見られます)。



◇Cogito ergo sum『我思う、故に我あり』
 作中で前面に押し出しているわけではないので、完全に裏設定となっているが、「ゲシュタルト崩壊」において大切なことの一つに「疑うこと」がある。これは、デカルトから始まった現代思想(翻って、私というアイデンティティ)の潮流を意識して意図的に作られた命題であり、プレイヤーに本質を探る事を求める根拠となっている。

 デカルト思想の解説はここでは省くが、「I think, therefore I am.」と英訳されている「我思う、故に我あり」は、方法序説を読み解けば実際の所「I doubt, therefore I am.」に近いとも言え、本作「ゲシュタルト崩壊」にて基本基調となっているのは、この「doubt」の方である。

 目前のものを一見確かそうな常識まで含めて全て疑い、自身が確実に本質であると言い切れる物のみを探す、という事を暗に求めたが、実情は寒々しいものだった。



◇サブタイトル『The Sickness unto Death』
 このサブタイトルは和訳すれば「死に至る病」であり、キルケゴールの著作名である。「死に至る病」とは、すなわち「絶望」の意であり、新約聖書ヨハネによる福音書11章4節《ラザロの復活》においてイエス・キリストが言った「ラザロは死にたり、されどこの病は死に至らず」に由来する。ここで言う死は肉体的な死ではなく精神的な死を指す。

 an epilogueのテレビニュースにおいて、浅田リョウが屋上から落下し死亡したかに見える演出がある。しかしながら、これは当然フェイクであり、後にメモとして追加される「後日、署内某所にて」と「事故調査まとめ」を読むと、浅田リョウが死亡(肉体的に)した訳ではないが、精神的に病んで(死んで)しまった、ということが判明する。サブタイトルである「The Sickness unto Death」はその設定に即した物となっている。

 「死に至る病」の中にこのような一節がある。『絶望とは死にいたる病である。自己の内なるこの病は、永遠に死ぬことであり死ぬべくして死ねないことである。それは死を死ぬことである』。以上、参考までに。



◇ゲシュタルトの祈り
 作中、住宅街で小柄な女性と初めて遭遇した際、彼女が最後に口走る長い台詞がある。

「私は私のために生きるし、あなたはあなたのために生きるの。あなたの期待に応えるために私は生まれてきたわけじゃない。でも、偶然が私たちを出会わせたなら、それは素敵なことよ。たとえあなたを救えなくても、それも素敵だと思わない?」

 この台詞には元ネタがある。ゲシュタルト療法を提唱したフレデリック・パールズが当時開催していたワークショップで、頻繁に読み上げられた詩だ。以下に全文を引用する。

『私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。出会えなくても、それもまた素晴らしいこと』

 この短い詩には、フレデリック・パールズのゲシュタルト療法における思想が端的に示されていると言える。「療法」を示唆するこの台詞を小柄な女性に喋らせる事で、遠回しにではあるが、「浅田リョウに対する敵意の類はない」、という意味を含ませたが、残念ながら今日までプレイヤーから指摘されることはなかった。

 フレデリック・パールズが行っていたセラピーでは、「過去に何をしたか」、それはなぜなのかを問うことはしない、「今ここ」で、「いかに」話しているか、「なにを」話しているかを問題にする。この手法は、小柄な女性の語り口(ここで何をしているのか、どうしてこんな所にいるのか、君は誰なのかという内容を中心に浅田リョウに尋ねる)に反映されている。

 具体的にゲシュタルト療法とは、精神と身体の完全統一という考え方に基づいて、セラピーの療法として統合したものである。この療法の目的とは、活動におけるより確立した独立と、自然な成長を阻害する障害物に対処する能力を、患者自身が獲得することを助けることにある。



 ここで取り上げたもの以外にも裏設定は多岐に渡りますが、
 膨大になりますので割愛します。
 何か気づかれた方がいらっしゃれば、
 掲示板等でお知らせくだされば回答いたします。
 場合によってはサイトのコンテンツ内に加筆することもあります。


モドル