作中におけるゲシュタルト崩壊とその周辺

◇浅田リョウの『症状』について
 そもそもゲシュタルト崩壊とは、作中のメモにある通り『全体性を失って、個別のみを認識するようになること』を指す。『インターネット』、『ゲシュタルト崩壊』という言葉を残し、母方の実家に消えた浅田リョウに、あの夜、何が起きたのか。

 メモ、「ゲシュタルト崩壊についての資料」における解説には、『生体的な習慣化作用とそれに伴う反射運動による認識規模の拡大』が、『どのような影響を及ぼすのか』がはっきりと判明していない、という記述がある。元来、よく知られたゲシュタルト崩壊の体験方法に、漢字一文字を長時間見つめる、といったものがある。この時、被験者が意識して認識するのは「漢字一文字」に留まり、また、合わせて『崩壊規模』もその範疇で収まる。しかしながら、浅田リョウが体験した『ゲシュタルト崩壊の規模』が『拡大されていた』為に、作中でどのような作用を生んだのか、が作品解釈における第一歩となる。

 また、『精神が如何に肉体に影響するか』というのは、近年の鬱病の流行等をあえて例に挙げるまでもなく、既に広く知られている通りである。1883年のオランダにこのような記録が残っている。国事犯であったブアメードに目隠しをし、足の親指にメスを入れ、どの程度血液を失えば人は死に至るのか、という実験が行われた。この時、実際にはメスなど入れていなかったのにも関わらず、医師の「まもなく(致死量である)三分の一の血液が抜かれる」という一言を聞き、ブアメードは衰弱死してしまった。心身はそれほど密接な関係にある。

 翻って浅田リョウの場合を考える。通常考えられない規模の「ゲシュタルト崩壊」という知覚の混乱によって、引き起こされた一時的な精神障害が、彼にどのような状況を呼び込んだのか。全体性を失い、歪に再構成された世界で増幅された疑心暗鬼が、どのような結末を彼に用意したのか。それは実際にプレイヤーが体験した通りである。

 もちろん、この物語で語られる「ゲシュタルト崩壊」は、物語の中で極端に作り上げられたフィクションであり、実際の「ゲシュタルト心理学」にこのような研究は存在せず、主に図形を用いた知覚実験や認識検証を行う物であるという事をお断りしておく。



◇作中における具体例
 作中、浅田リョウが認識する不条理な出来事は、基本的に浅田リョウの認識の混乱と、それに伴う疑心暗鬼により引き起こされている。崩壊と再認識を繰り返す中で狂ってしまった『全体性』が様々な誤解を生んだ。以下は作中にある顕著な具体例と、簡単な解説。

・全体を通して
 「ゲシュタルト崩壊」のもたらした認識障害によって、副次的に高まった被害妄想のため、出会う人々全てを疑うことになった。

・Scene2 学校
 学内に逃げ込んだ際、「狂った女」が校門を乗り越えて追いかけてきた、と思い込んだ。これは、先に浅田リョウが校門を乗り越える際に、すでに自分でも考えていた、「警報装置」が実際に校門に設置されていたため、警備会社の人間が見回りに来たというもの。
 学校の警備を任されているので、当然校内にまで入ってくることができ、結果、浅田リョウは「狂った女」が学校内まで自分を追いかけてきた、とさらに誤解した。
 トイレに逃げ込んだ際も、自分の携帯電話が鳴ったと思い込んだが、実際は校内を見回っていた警備会社の人間の携帯が鳴った音だった。これは、校門付近のみならず、当然校内にも警報装置は設置されており、浅田リョウが潜伏していたトイレ付近で反応があったことから、警備会社から警備員に連絡が入ったと考えられる。また、実際に浅田リョウの携帯電話に着信がなかったことは『Scene3 再び住宅街』の冒頭部分で確認することが出来る。
 この「Scene2 学校」は、浅田リョウの状態が一番分かり易く書かれており、再プレイでこの場面を再び通過することで、この物語の、一種の「トリック」を説明する役割を想定していた。


モドル